飲み会の続き

飲み会で出た宿題の調査結果を書いてます。

牛糞と牛黄の見た目が似過ぎている

勘違いしただけなんですが、人のメッセージを見間違って読んでしまい
「二日酔いどめの胃薬に、牛糞を原料の一部を混ぜたものが効く」と勘違いしてしまいました。牛糞でxxなんて、江戸時代の民間信仰かよ、と一瞬江戸時代を馬鹿にしてしまいましたが、令和の時代にも「ニベアでシミがxx」みたいなことを言っているので、江戸の皆様に訂正してお詫びいたします。

実際には牛糞ではなく牛黄という漢方で、これは牛の胆嚢にできた結石だそうです。
牛黄にしても、それだけで酔いに効くとは考えにくいので、そのほか同梱されている成分などの薬効も大きいかと思われます。

 

しかし、この手の民間信仰ってのはある種、すごい力を持っているわけですよ。
本当に効果があったとしても、一見因果が認められないから、すごい発見だと思うし、
もし、牛糞にそんな力がなくても、それで二日酔いがなくなって話題になっているというなら、プラシーボ効果がめちゃ効いているわけでそれはそれですごい。 

 

二日酔いなどはほとんど気の問題であった、というプラシーボかもしれないし、
あるいは、効果がないのにも関わらず商業的目的でブームを作成することがたやすい、という事であればそれはそれですごい。

 

ということは、あらゆる迷信には、何某か人の心を動かす力への訴求があるはず。
あるキーワードが、心の中にしまいこまれていた精霊信仰を揺り動かしたり、
幼い頃母がつけていたニベアへの憧れを呼び起こしてたりするんじゃないだろうか。

 

そういえば、統合失調症の愁訴も、
明治時代は「きつねつき」みたいなものであったのが、
現在は「集団監視」「電磁波」とか、時代ともに変わっているそうだ。
迷信と同じく、こういった愁訴も「専門家以外には理解できないが、集団としては特別な力を持っている憧れの何か」を拾い出すのに使えるのではないだろうか・・・
つまり「好きぞフレニア」(schizophrenia)

 

尿やうんこが、xxに効く、というのは昔からよくある信仰だ。
体の中から出てくるものだから不思議であり、その不思議さが信仰対象になるのだろう。

尿飲み健康法なんてのが、昭和半ばにあったらしい。(東海林さだおの漫画で二十年前くらいに見た)
当たり前だが、尿で健康にはならない。
生体濃縮されるような有害物が濾し取られているメリットよりも、
尿素などの不要/危険だから排出されているものが成分を再度体に入れるデメリットが上回るはずだ。

 

ただ、食べ物がないとかそんな状況だと、飲んだ方が長生きする場合も、あるかもしれない。きれいな水を飲んでも、病気にはならないだろうが、それだけだとお腹が減っていつか死んでしまう。

食べ物がない、とか、そんな状況であれば、不用物は多く含まれていても、有用物が含まれている尿には飲む価値があるのかもしれない。
ただ、尿は糖分などの回収率が高いから、狙うなら、尿より糞だ。

 

人間の場合、消化しても栄養の半分以上は糞に残っていると聞いたことがある。(8割だったかもしれない)
ゴキブリなんかは、巣に帰ってきたゴキブリの糞を他のゴキブリが食べるそうだ。
その習性を逆手にとった「コンバット」というゴキ退治製品は、アホみたいに効く。
ゴキ単体ではなく、巣ごとつぶす戦略だからようだ。
だから、「コンバット」=戦闘 という、一見ジュネーブ条約に反しなさそうな名前とは違い、この退治製品はかなり非人道的な化学兵器である。

 

私の実際の「コンバット」体験。
スーパーの裏に引っ越したら、二日で3匹ゴキに遭遇するというゴキラッシュに遭った。そこで「コンバット」を導入・・・その後数年見かけなかった!!!


ひょっとしたら、スーパーに住んでるゴキブリごとやっちまったのだろうか。
それはもはやコンバットというよりは、ブルース・ウィルスがクリスマスにビルの中のテロリストを全部やっちまうような、
超ハードな戦闘だ、いや、大ハードな戦闘だ。

お後がよろしいようで。