飲み会の続き

飲み会で出た宿題の調査結果を書いてます。

生茶で腹を壊す世界線

xxな世界線っていう表現、ネット界隈で流行ってるような気がします。
「xxな世界線」は、元はシュールな設定であることを示す言葉だった
(「北海道がソ連に占領されてた世界線」みたいな) と思うのですが、
最近はそれを逆本歌取りして、現実に存在する珍奇なものに「シュールである」とラベルをつける使い方もよく見ます。 生茶で腹を壊す人はそんなにいないらしいので、ちょうどいいと思ってタイトルにしてみました。

あっしは生茶が好きですが、生茶をがりがり飲むと腹を壊します。
200mlを超えると、結構腹が痛くなるので、薄めて時間を分けて飲んだりなど対策をしています。

薄めた生茶は、もはやそれは生なのかという疑問が生じますが、葉っぱの香りのようなキリっとした味は意外と健在です。
というか、どこまでチューニングすると、生茶は生じゃなくなるのか。 数多ある生肉類のように炊かなければ生なのか、あるいは、生レバーも薄く切ると生じゃなくなるのか。
どこまで加熱殺菌したら生乳なのか。
世界に対する疑問、いや、生に対する疑問、は尽きません。
そもそも生という単語にいとも簡単に魅了されてしまう我々はなんなのか。
生チョコレート、
グレープフルーツサワー

 

いやいや、よくよく考えたら生グレープフルーツサワーはおかしいだろ。
グレープフルーツはみんな生だろ。
木になった時点も生、運ばれても生、店先に並んでも生。自然ガチャで生まれた、あのなんとも数学的な形はまさに生。

 

この「生」は、サワー化する際に「グレープフルーツテイストを使ってんのかそれともグレープフルーツを使ってんのか」を言いたいものであるから、サワーを形容していることを本来は明確にすべき。

つまり形容する単語を近くして
「グレープフルーツ生サワー」

マーケティング観点的には、生を頭につけたいって?
危ないぞ
消費者庁じゃ!消費者庁をよべ!!

 

缶コーヒーが、早々に「コーヒー飲料」と旗して、自分はコーヒーではないことを宣言した潔さを見習ってほしいところ。なんでそんなに諦めるの早いの、缶コーヒー業界。大好きだぞ。

 

ああ、見返してみると、なんて面倒くさいんだ俺。
自分がいい感じの面倒臭い老人になってきたことを感じます。
へっへっへ、おい鬼太郎。
陽気じゃ!
今日は生茶風呂の気分じゃ。